高校3年のときの作文 「わたしの好きな人たち」

文学部 文集「文圓」三十四号
昭和四十六年 山梨県立日川高校三年

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わたしの好きな人たち
               林真理子

 歴史物語や伝記を読むと、教科書の中でコチコチの石膏像のような人々が人間の暖かさを持って、非常に身近に感ずることができる。もちろん小説には、作者の主観やフィクションが多分に入っているが、いろいろな本や資料からその人の人柄や生活を想像するのは、とても楽しい仕事だ。そして私は何人かの心ひかれる人に会う事ができた。
 藤原道長さん。この人はすぐ「此の世をば‥…」という例の歌が浮んできて、高慢な人というイメージがあるが「紫式部日記」を読む限りではとても人のいいおじさんである。念願の孫が生まれて大喜ぴで、抱き歩いてばかりいるからよくオシッコをひっかけられる。すると濡れた着物を火ばちで乾かしながら、「うれしいよう、孫ができたからこそこうしてオシッコをひっかけられる。」などとつぶやく。また天皇行幸の際、嬉しさのあまり酔い泣きしたり、娘にからんだりするのを読むと、無邪気といってもいいくらいである。紫式部は彼にスカウトされて、彰子に仕える身分だからそう悪い事も書けなかっただろうし、こうした事もこの権力者の一面かも知れないが、私は道長という名前を聞く時、なぜか幼い孫をあやしている目のショボショボした平凡な一人の老人を連想してしまう。それは打算的な政治家などという形容詞から遠く離れたものである。
 彼の祖先の藤原鎌足さんも私は好きだ。彼にもクーデターを実行した冷酷な政治家というイメージが強いが、万葉集にみられる彼は、男らしい魅力がある。「われはもはや安見児得たり 皆人の得がてにすとふ安見児得たり」というこの歌は、荒々しくて、それでいて道長と同じような稚気をのぞかせた男の愛情というものをよく表現して私が大好きなものである。ここで思い出す歌がある。与謝野鉄幹の「われ男の子 意気の子 名の子 つるぎの子詩の子恋の子 ああもだえの子」というこれまた有名なものだ。つまり軍もすれば、詩もかき恋もする。これが本当の男の魅力だとするのは古代も明治も同じだったのだろう。現代はどうかそれは知らない。
 鎌足に限らず、万葉の人々、飛鳥、奈良初期の人々は非常に魅力的である。後の時代、支配者によって人々の縄となった仏教も儒教もこの時代はそこまでいっていなかった。ものの本によると、この頃の住生活や食生活は鷲くほど現代に似ていたらしい。そのためか人々は大らかで情熱的である。女性の方から堂々と求愛し、天皇から平民まで切々たる恋の歌を読む。それらは、現代にひけをとらない程大胆で顔を赤らめてしまうようなものが幾らかある。
 額田大王は典型的な万葉女性だろう。彼女は言うまでもなく、天智帝、弟の天武帝から愛された女性だが、三角関係という言葉で表現するのには彼女はあまりにも悪ぴれす、深刻ぶったところがない。
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る」 この歌から何ものにも束縛されない、おのが意志のままに生きる彼女を想像できはしないだろうか。唯かに彼女は魅力的だったのだろう。彼女は壬申の乱の一要因だという説があるが、うなづける話である。
 ところが、平安時代になると彼女のような魅力的な女性は、ぱったりと姿を消す。時代というものに原因するのかもしれないが、「源氏物語」に象徴されるその頃の女性の、あまりにも受動的で自分というものを持たない様子にはイライラさせられる。理解できない。寝殿造りの豪華絢爛たるリカちゃんハウスの中にいる人形のようだ。しかし更級日記の中で、作者はあの可憐な少女時代、ああ私も夕顔や浮舟のようになりたいといっている。
 一番悲劇的な運命をたどるこの二人は当時の女性から見てそれほど心ひかれる存在だったのだろうか。私はむしろ彼女達の作者の方に、ずっと人間的な魅力を感ずる。紫式部という人は私の想像するのに、少々欲求不満気味のあまり美人ではない未亡人だ。非常な生まじめの中にあの膨大な恋愛小説を書いた情熱がある。もちろん彼女には高い知性と教養があるから、自分を抑えて和泉式部のようにスキャングルめいた事は起こさないが、しかしそれは隠しおおせるものではない。彼女の日記の中で、夜殿上人が若い女房の部屋へ行く沓音が聞こえると、彼女は過ぎ去った青春を懐しんだ歌をよみ、もう恋などと縁がないことがいかにも残念そうである。また道長が深夜、彼女の部屋をたたく章がある。これは彼女にとってはまきに大事件であるはずなのに、この章は短かく返答歌の他には、彼女の気持は全く書かれていない。道長からの昨夜の態度をなじった歌の
返事に、彼女は、あなた様はおたわむれになったんでしょう。私はひどく困惑しましたわといいたげであるが、私は今をときめく道長さまの心をとらえたわ、私もまだすてたもんじゃないわと言った彼女の本心が、何も書かれていないゆえに感ずるのだが、こんな考えは下司の勘ぐりというもので偉大な作家を冒?するものだろうか。ある教師が言った。本当に人から愛され恋愛してぃる者には恋愛小説は書けない。それが書けるのは、失恋したものか恋を知らない者だ。書くことによって現実でありえない事をしだいに美化していくのだと。彼女の場合もこれにあてはまるのではないかと私は思う。中流以上の貴族である受領の娘に生まれ、夫とも死に別れた彼女は、高い身分の美しい男女のきらびやかな恋を描くことによって、現実では満たされない一つの理想の世界を自分で築きあげていったのだと思う。
 彼女よりもう少し前の時代の蜻蛉日記の作者は、理想をつくり出すより現実をふみしめる事によって満たされぬものを晴らしている感じでぁる。最初私は彼女に良い印象を持っていなかった。教科書で初めて彼女の日記に触れた時「かたちとても人にも似ず」という箇所があった。容姿が人並みでないということだ。そういえば彼女の肖像画は鼻がポッテリしていてどうしても美人には見えない。何だか私に似ている感じで非常に親近感を持った。そして授業時間いろいろな彼女の身の上を想像してみた。彼女は美人ではなかったから求婚者がなく、父の倫寧が無理矢理押しつけたのだろう。だから兼家はしょっちゅう外で浮気をしてくるのだ。私もこんなふうになるのかしらと思ってその時間はだんだん気がめいってきてしまったりもした。それほど私は彼女に同情していたのだ。ところがその次の日のことだ。先生にさされてマゴマゴしている私に隣の席の人がサッとトラを渡してくれた。そんなものを一度も持ったことのない私は、非常な興味をもって答え終わってからもそれをながめた。すると彼女の説明にこう書いてあった。「人にも似ずと謙遜しているが実際は本朝第一美人三人のうちの一人と伝えられる」これを読んだ時の私の失望、信じていた友に裏切られた思いだった。「なんていやな女なんだろう、美人でも性格が悪いから夫に嫌われるんだザマアミロ」と全くムチャクチャな事を考えたりした。そしてこの私の浅はかな子供じみた考えは、夏休み彼女の日記の全部に触れることによって消えてしまった。夏の長い一日は彼女の悲劇について十分考える時間を与えてくれた。それは私が考えたように彼女が悪いのでもなく、そうかといって兼家が悪いのではない。男と女の本質的な違いから来るものなのだ。兼家の好色さもこのころの時代の男性としては普通の事だろうし、彼は彼なりに彼女を愛していたと思う。しかしそんな夫を理解することも許すこともできない彼女の気持ちもわかる様な気もするのだ。彼女はあまりにも潔癖すぎたのだ。あまりにも自分の気持ちに忠実すぎたのだ。このどうすることもできない二人の葛藤は現代なお続いている。新聞の身の上相談などでこの種のものはよくお国にかかる。今からおよそ千年以上も前の人間と同じことを悩んでいるのだ。こうしてみると、人間の感情というものは、これからも変わることはないのだろうと思う。
 私は女性だから、やはり強い女性に会うとと嬉しくなる。そして思うことだが歴史の変わりめには必ずといってよいほど女性が登場してくる。北条政子・日野富子・淀君などだ。この三人に共通して言われることは、悪妻、わがまま、ということだがそれゆえに私は彼女選、特に北条政子が好きである。日野富子は弁解の余地なく悪女の仲間入りをしてしまっているが、政治上のやり方はともかく彼女ほどの母性本能は誰でも持っているものではないだろうか。それにひきかえ淀君は芝居や小説で可愛い憐れな女という良い方に解釈されてきた。そして北条政子は今まで少し不当な扱いをされてきたようだが、最近ある女流作家によって新しい解釈がなされてきたようだ。その中の、彼女が頼朝の愛人を家来によって襲わせるところを読んで、私は一辺に彼女が好きになった。なんて自分の心に正直で、激しい人なんだろうと思った。自分の心に正直ということはわがままと言われるが、この時代にあって、とても難しい事に違いない。その小説によると政子は婚礼の夜、ひそかに逃げ出して頼朝のもとへ走っていくのだ。これはいかにも小説くさいが、政子には頼朝と維ばれる前に婚約者がいたのは事実らしい。それにしてもまだ平氏の時代、伊豆へ流されていた源氏である願柄と結ばれるのは並たいていの勇気ではできないし私は頼朝以後、彼女にまつわる黒い説をきっぱり否定したい。彼女ほど自分の心をあらわに出す女はとうてい真の政治家にはなれないのだ。
 強い女ということでは同じ時代に生きた静御前も同じだろう。義経は色の白い美男子というのは定説だが、平家物語によると、背の低い出っ歯だったそうだ。それが本当なら二人のロマンスは半減するが「しずやしず」と頼朝の前で歌った彼女は立派と言わなければならない。テレビなどでこの場面になると私はつい泣けてしまうほどだ。
 こうした強い源氏側の女性に比べて、平家の女性達は典型的な平安の女だろう。
 「女人平家」などを読むと、清盛の六人の娘達は実に優雅に貴族的に育てられたらしい。ゆえに彼女達に、関東育ちの政子のような強さがないのはあたり前かもしれない。
 しかし私は歴史という大きな河にもろく流されていった彼女達に、どうしてもやりきれないものを感じる。それは何のかんのといっても結局この世界を動かしてきた男に対する、女である私のひがみから来るものだろう。
 だからこそ、私は強い人、自分の心に正直に生きようとする人が好きだ。他人の犠性となって自分の感情を、おし殺してしまうような優しさや思いやりも好きだけれど、自己を貫こうとする激しさや強さの方が、もっと好きだ。しかし、日本という国は、「妻理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界」と唄にもあるように、自分の感情を隠し他人のために奉仕することが美徳だと考えられていたように思う。そういう風土の中で育った私は、やはり他人の目を意識しながら小さく生きていくのだろうか。自分の意のままに生きる力強さが私にあるだろうか。
 ふと空を見たくなって窓をあけた。秋の夜の星は美しい。星というのは何億とあるそうだが、そのうち光って見えるのは幾つもない。歴史に出てくる人々というのは光る星であろう。私は長い間星空を見つめていた。考えることもなく、音もなく、時というものを全く感じなくなった瞬間、私は好きな人達、紫式部や北条政子らが、何百年か前に私と同じように星空を見つめただろうと思った。十二単衣を着た彼女ら几帳のかげから星を眺めているありさまが、はっきりと目に浮かんできたのだった。私は息苦しいほど過去の重みを感じた。そして今私は、過去から未来へと一本の線のような、この宇宙の原則である時の流れというものを思った。それは不思議な感動だった。
 北条政子の事など誰にもわかりはしない。優しい女だったか強い女だったかなど故事をいくらひっぱり出しても、それは本人しかわからないことだ。けれど一つ大きな事実がある。彼女は生きていた。道長も静御前も平家の女達も、せいいっばい生きぬいて一つの人生をつくりあげていった。そして今、真夜中星を見つめる私だけが生きている。私の一生など歴史にのりはしないだろう。目に見えない小さな星で終わるだろう。それでいいと私は思った。
 秋の星は美しくて飽きることを知らなかった。


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