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高校3年のときの詩 「不思議なこと」

文学部 文集「文圓」三十四号
昭和四十六年 県立日川高校三年

不思議なこと
          林真理子

三日月の日に打ち上げられた
ロケットは
いったいどこに
止まるのでしょう
遊園地のすべり台のように
つるっとすべって
宇宙へ落ちていったら
どうしましょう

恋をしているあの人は
どうして
ため息と涙でいつも
顔をくもらせているのでしょう


高校3年のときの作文 「わたしの好きな人たち」

文学部 文集「文圓」三十四号
昭和四十六年 山梨県立日川高校三年

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わたしの好きな人たち
               林真理子

 歴史物語や伝記を読むと、教科書の中でコチコチの石膏像のような人々が人間の暖かさを持って、非常に身近に感ずることができる。もちろん小説には、作者の主観やフィクションが多分に入っているが、いろいろな本や資料からその人の人柄や生活を想像するのは、とても楽しい仕事だ。そして私は何人かの心ひかれる人に会う事ができた。
 藤原道長さん。この人はすぐ「此の世をば‥…」という例の歌が浮んできて、高慢な人というイメージがあるが「紫式部日記」を読む限りではとても人のいいおじさんである。念願の孫が生まれて大喜ぴで、抱き歩いてばかりいるからよくオシッコをひっかけられる。すると濡れた着物を火ばちで乾かしながら、「うれしいよう、孫ができたからこそこうしてオシッコをひっかけられる。」などとつぶやく。また天皇行幸の際、嬉しさのあまり酔い泣きしたり、娘にからんだりするのを読むと、無邪気といってもいいくらいである。紫式部は彼にスカウトされて、彰子に仕える身分だからそう悪い事も書けなかっただろうし、こうした事もこの権力者の一面かも知れないが、私は道長という名前を聞く時、なぜか幼い孫をあやしている目のショボショボした平凡な一人の老人を連想してしまう。それは打算的な政治家などという形容詞から遠く離れたものである。
 彼の祖先の藤原鎌足さんも私は好きだ。彼にもクーデターを実行した冷酷な政治家というイメージが強いが、万葉集にみられる彼は、男らしい魅力がある。「われはもはや安見児得たり 皆人の得がてにすとふ安見児得たり」というこの歌は、荒々しくて、それでいて道長と同じような稚気をのぞかせた男の愛情というものをよく表現して私が大好きなものである。ここで思い出す歌がある。与謝野鉄幹の「われ男の子 意気の子 名の子 つるぎの子詩の子恋の子 ああもだえの子」というこれまた有名なものだ。つまり軍もすれば、詩もかき恋もする。これが本当の男の魅力だとするのは古代も明治も同じだったのだろう。現代はどうかそれは知らない。
 鎌足に限らず、万葉の人々、飛鳥、奈良初期の人々は非常に魅力的である。後の時代、支配者によって人々の縄となった仏教も儒教もこの時代はそこまでいっていなかった。ものの本によると、この頃の住生活や食生活は鷲くほど現代に似ていたらしい。そのためか人々は大らかで情熱的である。女性の方から堂々と求愛し、天皇から平民まで切々たる恋の歌を読む。それらは、現代にひけをとらない程大胆で顔を赤らめてしまうようなものが幾らかある。
 額田大王は典型的な万葉女性だろう。彼女は言うまでもなく、天智帝、弟の天武帝から愛された女性だが、三角関係という言葉で表現するのには彼女はあまりにも悪ぴれす、深刻ぶったところがない。
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る」 この歌から何ものにも束縛されない、おのが意志のままに生きる彼女を想像できはしないだろうか。唯かに彼女は魅力的だったのだろう。彼女は壬申の乱の一要因だという説があるが、うなづける話である。
 ところが、平安時代になると彼女のような魅力的な女性は、ぱったりと姿を消す。時代というものに原因するのかもしれないが、「源氏物語」に象徴されるその頃の女性の、あまりにも受動的で自分というものを持たない様子にはイライラさせられる。理解できない。寝殿造りの豪華絢爛たるリカちゃんハウスの中にいる人形のようだ。しかし更級日記の中で、作者はあの可憐な少女時代、ああ私も夕顔や浮舟のようになりたいといっている。
 一番悲劇的な運命をたどるこの二人は当時の女性から見てそれほど心ひかれる存在だったのだろうか。私はむしろ彼女達の作者の方に、ずっと人間的な魅力を感ずる。紫式部という人は私の想像するのに、少々欲求不満気味のあまり美人ではない未亡人だ。非常な生まじめの中にあの膨大な恋愛小説を書いた情熱がある。もちろん彼女には高い知性と教養があるから、自分を抑えて和泉式部のようにスキャングルめいた事は起こさないが、しかしそれは隠しおおせるものではない。彼女の日記の中で、夜殿上人が若い女房の部屋へ行く沓音が聞こえると、彼女は過ぎ去った青春を懐しんだ歌をよみ、もう恋などと縁がないことがいかにも残念そうである。また道長が深夜、彼女の部屋をたたく章がある。これは彼女にとってはまきに大事件であるはずなのに、この章は短かく返答歌の他には、彼女の気持は全く書かれていない。道長からの昨夜の態度をなじった歌の
返事に、彼女は、あなた様はおたわむれになったんでしょう。私はひどく困惑しましたわといいたげであるが、私は今をときめく道長さまの心をとらえたわ、私もまだすてたもんじゃないわと言った彼女の本心が、何も書かれていないゆえに感ずるのだが、こんな考えは下司の勘ぐりというもので偉大な作家を冒?するものだろうか。ある教師が言った。本当に人から愛され恋愛してぃる者には恋愛小説は書けない。それが書けるのは、失恋したものか恋を知らない者だ。書くことによって現実でありえない事をしだいに美化していくのだと。彼女の場合もこれにあてはまるのではないかと私は思う。中流以上の貴族である受領の娘に生まれ、夫とも死に別れた彼女は、高い身分の美しい男女のきらびやかな恋を描くことによって、現実では満たされない一つの理想の世界を自分で築きあげていったのだと思う。
 彼女よりもう少し前の時代の蜻蛉日記の作者は、理想をつくり出すより現実をふみしめる事によって満たされぬものを晴らしている感じでぁる。最初私は彼女に良い印象を持っていなかった。教科書で初めて彼女の日記に触れた時「かたちとても人にも似ず」という箇所があった。容姿が人並みでないということだ。そういえば彼女の肖像画は鼻がポッテリしていてどうしても美人には見えない。何だか私に似ている感じで非常に親近感を持った。そして授業時間いろいろな彼女の身の上を想像してみた。彼女は美人ではなかったから求婚者がなく、父の倫寧が無理矢理押しつけたのだろう。だから兼家はしょっちゅう外で浮気をしてくるのだ。私もこんなふうになるのかしらと思ってその時間はだんだん気がめいってきてしまったりもした。それほど私は彼女に同情していたのだ。ところがその次の日のことだ。先生にさされてマゴマゴしている私に隣の席の人がサッとトラを渡してくれた。そんなものを一度も持ったことのない私は、非常な興味をもって答え終わってからもそれをながめた。すると彼女の説明にこう書いてあった。「人にも似ずと謙遜しているが実際は本朝第一美人三人のうちの一人と伝えられる」これを読んだ時の私の失望、信じていた友に裏切られた思いだった。「なんていやな女なんだろう、美人でも性格が悪いから夫に嫌われるんだザマアミロ」と全くムチャクチャな事を考えたりした。そしてこの私の浅はかな子供じみた考えは、夏休み彼女の日記の全部に触れることによって消えてしまった。夏の長い一日は彼女の悲劇について十分考える時間を与えてくれた。それは私が考えたように彼女が悪いのでもなく、そうかといって兼家が悪いのではない。男と女の本質的な違いから来るものなのだ。兼家の好色さもこのころの時代の男性としては普通の事だろうし、彼は彼なりに彼女を愛していたと思う。しかしそんな夫を理解することも許すこともできない彼女の気持ちもわかる様な気もするのだ。彼女はあまりにも潔癖すぎたのだ。あまりにも自分の気持ちに忠実すぎたのだ。このどうすることもできない二人の葛藤は現代なお続いている。新聞の身の上相談などでこの種のものはよくお国にかかる。今からおよそ千年以上も前の人間と同じことを悩んでいるのだ。こうしてみると、人間の感情というものは、これからも変わることはないのだろうと思う。
 私は女性だから、やはり強い女性に会うとと嬉しくなる。そして思うことだが歴史の変わりめには必ずといってよいほど女性が登場してくる。北条政子・日野富子・淀君などだ。この三人に共通して言われることは、悪妻、わがまま、ということだがそれゆえに私は彼女選、特に北条政子が好きである。日野富子は弁解の余地なく悪女の仲間入りをしてしまっているが、政治上のやり方はともかく彼女ほどの母性本能は誰でも持っているものではないだろうか。それにひきかえ淀君は芝居や小説で可愛い憐れな女という良い方に解釈されてきた。そして北条政子は今まで少し不当な扱いをされてきたようだが、最近ある女流作家によって新しい解釈がなされてきたようだ。その中の、彼女が頼朝の愛人を家来によって襲わせるところを読んで、私は一辺に彼女が好きになった。なんて自分の心に正直で、激しい人なんだろうと思った。自分の心に正直ということはわがままと言われるが、この時代にあって、とても難しい事に違いない。その小説によると政子は婚礼の夜、ひそかに逃げ出して頼朝のもとへ走っていくのだ。これはいかにも小説くさいが、政子には頼朝と維ばれる前に婚約者がいたのは事実らしい。それにしてもまだ平氏の時代、伊豆へ流されていた源氏である願柄と結ばれるのは並たいていの勇気ではできないし私は頼朝以後、彼女にまつわる黒い説をきっぱり否定したい。彼女ほど自分の心をあらわに出す女はとうてい真の政治家にはなれないのだ。
 強い女ということでは同じ時代に生きた静御前も同じだろう。義経は色の白い美男子というのは定説だが、平家物語によると、背の低い出っ歯だったそうだ。それが本当なら二人のロマンスは半減するが「しずやしず」と頼朝の前で歌った彼女は立派と言わなければならない。テレビなどでこの場面になると私はつい泣けてしまうほどだ。
 こうした強い源氏側の女性に比べて、平家の女性達は典型的な平安の女だろう。
 「女人平家」などを読むと、清盛の六人の娘達は実に優雅に貴族的に育てられたらしい。ゆえに彼女達に、関東育ちの政子のような強さがないのはあたり前かもしれない。
 しかし私は歴史という大きな河にもろく流されていった彼女達に、どうしてもやりきれないものを感じる。それは何のかんのといっても結局この世界を動かしてきた男に対する、女である私のひがみから来るものだろう。
 だからこそ、私は強い人、自分の心に正直に生きようとする人が好きだ。他人の犠性となって自分の感情を、おし殺してしまうような優しさや思いやりも好きだけれど、自己を貫こうとする激しさや強さの方が、もっと好きだ。しかし、日本という国は、「妻理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界」と唄にもあるように、自分の感情を隠し他人のために奉仕することが美徳だと考えられていたように思う。そういう風土の中で育った私は、やはり他人の目を意識しながら小さく生きていくのだろうか。自分の意のままに生きる力強さが私にあるだろうか。
 ふと空を見たくなって窓をあけた。秋の夜の星は美しい。星というのは何億とあるそうだが、そのうち光って見えるのは幾つもない。歴史に出てくる人々というのは光る星であろう。私は長い間星空を見つめていた。考えることもなく、音もなく、時というものを全く感じなくなった瞬間、私は好きな人達、紫式部や北条政子らが、何百年か前に私と同じように星空を見つめただろうと思った。十二単衣を着た彼女ら几帳のかげから星を眺めているありさまが、はっきりと目に浮かんできたのだった。私は息苦しいほど過去の重みを感じた。そして今私は、過去から未来へと一本の線のような、この宇宙の原則である時の流れというものを思った。それは不思議な感動だった。
 北条政子の事など誰にもわかりはしない。優しい女だったか強い女だったかなど故事をいくらひっぱり出しても、それは本人しかわからないことだ。けれど一つ大きな事実がある。彼女は生きていた。道長も静御前も平家の女達も、せいいっばい生きぬいて一つの人生をつくりあげていった。そして今、真夜中星を見つめる私だけが生きている。私の一生など歴史にのりはしないだろう。目に見えない小さな星で終わるだろう。それでいいと私は思った。
 秋の星は美しくて飽きることを知らなかった。


中学校3年のときの作文 「横浜の夜」

修学旅行記
加納岩ヤ学校 昭和四十二年度 一二年

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横浜の夜
        林真理子

 片手に昼間潮干狩りでとった貝を持ち、昨夜の寝不足と疲れで、
よろよろしながら私は、バスから降りた。
 私達が、最後のバスで、前に着いた人たちは、もうロピーに整列
している。「急がなければ」と思った瞬間、私は敷き物につまづい
て見事に転んでしまった。転んだのは、朝からこれで二回目だ。全
く今日の私はどうかしている。顔から火の出る思いでみんなのあと
をぞろぞろと部屋に向かった。
 高い二段ベッドの並んだ狭い部屋が、私達の一夜の城である。荷
物をとくひまもなく食事の時間となった。食堂へ入って驚いたこと
には、ベルトコンべアで食器が、動いていることだった。セルフサ
ービスと前から聞いていたが、まさかこんなものだとは、思わなか
った。
「学生会館」と名のるだけあって味こそ東京風のあっさりしたもの
で、口に合わなかったが、カロリーといいボリュームといい昨夜泊
まった日光の旅館に比べると、さすがにゆきとどいていた。
 食事が、終って部屋にもどってから私は夕べの、夜ふかしとおし
ゃべりが、たたってひどいかぜ声になってしまった。昨夜は、三時
間ぐらいしか寝ていないので、今夜こそぐっすり眠ろうと目を閉じ
たが、電気が明るくついているのと話し声でなかなか眠れない。
「女三人寄ればかしましい」と昔の人はうまいことをいったものだ
が、この部屋には、三人の七倍もいるのだからそのかしましさたる
やお話にならない。私もその同類に入るらしくみんなの話し声を聞
くと、さっきのけなげな決心はどこへやらじっとしていられなくな
つた。かすれた声でしゃべれるだけしゃべってうとうとする目で、
遊べるだけ遊んだ。頭が、がんがんする。ふととなりのベッドをの
ぞくと渡辺さんが、かすかな寝息をたてて、静かに眠っていた。
「もう寝よう」と私は思った。
 目をとじて深呼吸した時なぜか今、—全く不思議なことに——初
めて修学旅行で横浜に来ているのだという実感が、ひしひしと胸に
伝わってきた。そして、私はいつのまにか深い眠りについた。


小学校6年のときの作文 「私がもし加納岩小学校の校長なら」

「青い雲」卒業記念文集
昭和四十年度加納岩小学校第六年三組

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私がもし加納岩小学校の校長なら
                      林真理子

 第一に校舎を建てかえます。
 クリーム色の細長い、ステキな校舎です。まわりは 緑の木かげ
でベンチがあります。その緑の中に図書館があります。体み時間に
なると 生徒たちが、小鳥の声を聞きながら、ベンチにこしかけた
り しばふに ねころんだりして本を読みます。本は破れているの
は、一さつもありません。みんな今買ってきたばかりのようです。
だって 私の学校の 生徒は いい子ばかりですもの………。
 制服も作ります。女の子は、ベレーと、白いブラウス、こんのジ
ャンパースカート。それに、校章のワッペンのついたこんの上着。
男は、白いワイシャツに、こんのズボン それに女の子と同じ上着
にペレー帽。みんなとっても頭がよくてかわいらしい子たちばかり。
 給食の時間です。きょうは、ミルクにホットドック。みんな仲よ
しの友だちと 緑の木かげの中でいただきます。時々 子りすや
小鳥が かたや手にとまって ごちそうを ねだります。みなさん
もういいですか。おかわりは、いくらでもありますよ。ガツガツす
る子は、 一人もいません。みんな お行儀よくいただきます。
 スクールバスだってあります。みんな歌を歌いながら 学校へ
行くんです。
 プールはもちろんあるし 夏は、高原の湖のほとりの 合宿所で
冬は スキー場の合宿所で 遊びながら 勉強します。
 音楽室も デスクオルガンどころか デスクピアノで 一人一台
づつ グランドピアノが つくんです。
 これが 私の夢です。ちょっと むりかしら。でも私は しょう
来 りっばな 教師となって この 大すきな 加納岩小学校で勉
強を 教えたいと思っています。


小学校3年のときの作文 「わたしの家」

文集「青い雲」2

昭和三十七年度加納岩小学校第三学年

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わたしの家
           林まりこ

 かいだんを、トントン、上がれば、だれだって、びっくりします。
二かいは、まるで、おとぎの国みたいです。
弟の、お気に入りのロポットが「やぁ、いらっしゃい。」と、いっ
ているみたいです。そして、小さな、三面きょうが、来た人の顔を
うつします。「わあっ、すごぃなあ」わたしはさっそく、じまんの、
とても、大きい、ままごとを出します。
だれだって、こんな、すばらしい、へやをもって、いないでしょう。
ひき出しは、チョヨレートや、おかしで、いっぱいです。
本立には、本が、いっばい、つまっています。そして、タンパリン
や、カスタネットのがっきが、あります。
 けれど、こんな、たのしい、へやも、わたしと、弟の、けんかの
場所に、なります。

「なんだ、おねえちゃんの、バカ。」
「ヘヘーンだ。なんだ、ブタ。」
 やがて、とっくみあいが、はじまります。けれど、年の、せいか、
いつも、わたしがかちます。
 けれど、 一つ、つごうの、わるいことが、下で、お茶を、のんで
いる、おかあさんに、きこえるのです。
あとで、大目玉を、もらう、わたしの、そばで、「二ヤニヤ」わら
いながら、お茶がしを、つまんでいる、弟を、見ると、とても、に`
くらしくなります。
 おせっきょうが、終わると、すぐ、かし入れを、見ると、わたし
の、大すきな、ブドウカステラは、かげも、形も、ありません(ハ
ハーン、これは、かずおが、もって、いったのだな)と、思って、
急いで、サンダルをはいて、にわへ、行くと、もしきの、かげでか
ずおが、おいしそうに、カステラを、たべていました。「かずお!」
わたしが、大きな、声で、いうと、弟は、びっくりして、にげよう
と、しました。わたしは、ようふくの、えりくびを、つかんで「お
かし、持ってるんでしょ」と、きつい声で、いうと「うん」と、
いって、プドウカステラを、三、四つ、出しました。
 わたしは、ちょっと、弟が、かわいい、気が、したけれど、だま
って、かずおの、頭をたたきました。
 その夜、おかあさんに「もっと、かずおを、かわいがらなきゃ。
あんないい、弟は、めったに、ないよ。」といわれました。
 わたしは、きえそうな声で、「うん」と、いって、もう、夜もふ
けた、おとぎの国へ上がって、いきました。


小学校2年のときの詩 「かりん」

文集「青い雲」

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昭和三十六年度加納岩小学校第二学年

かりん
        林まり子

きいろい まるい
  ふとった からだ
どこから 見ても
  まあるい からだ
中には おいしい みが
  はいっているから ふとっている
かりんは みかんの
  おすもうさん


小説『ワンス・ア・イヤー』に寄せた中森明夫さん解説


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 この本を手にされた貴女は幸せです。もし貴女があの八〇年代に二〇代を過ごしたことのある人なら、きっと「ああ懐かしい」と思われることがあるだろう。もし貴女がそれよりもっと若い女性なら「へえ、こんなことがあったんだ」といくつもの発見をすることだろう。
 この本を手にされた貴男は幸せです。もし貴男が一度でもあの八〇年代を「生きた」ことのある人なら、かつての時代に貴男とは別の性を持つ者らが「いかに傷つき、いかに戦ったか」をやっと気づくことになるだろうから。
* * *
 大学は出たけれど、就職難で風呂なし共同トイレのアパートに住みアルバイト生活を続けるサエない女のコが、カタカナ職業に憧れ、コピーライターとなって、初エッセイ集が大ベストセラーを記録−−やがて時代の寵児から直木賞作家へ・・・・・・の軌跡を描いた小説『ワンス・ア・イヤー』を読めば、誰もが著者・林真理子その人のサクセスの道程を思い浮かべることだろう。そうなのだ、これはいくつもの自伝的な小説を発表した林真理子の、いわば前半生の“総集編”とでも呼びうるような作品である。しかも大学を卒業したての二三歳から遂に結婚を果たす三六歳まで一歳に一章を充てるクロニクルの体裁をとっていて、さながらコマ落とし映像で彼女が成功への階段を駆け昇ってゆく姿を見るようだ。
 林さんは一九五四年生まれだから、それは七七年からジャスト九〇年までのこと、ちょうどまるごと八〇年代を舞台にしていることがこの小説の重要な隠し味となっている。それはテクノヘアやパックマン、イエロー・マジック・オーケストラやスーパーボールの服etcといった当時の時代風俗を表す固有名詞が頻出するということばかりではない。〝林真理子スゴロク〟というのを御存知だろうか?僕たちライターの世界では「モノカキ・スゴロクの上がりは作家だ」とよく耳にするが、〝林真理子スゴロク〟はそれをもっと精緻にリアルにしたものである。フリダシは一介の女子大生、そこからコピーライター養成講座を経て広告製作会社のアシスタント、コピーライターとして一人立ちして次にエッセイスト、ベストセラーで「三つススム」、テレビ文化人、少し疲労して「一回休み」、やがて作家となって、遂に直木賞(!)・・・・・・という仕組み。本書をお読みになれば、いかにして林真理子がこのスゴロクのコマを進めていったかが理解されるだろう。だが、彼女がエラいのはスゴロクに勝利したからではない。実は、このスゴロクを作ったのが他ならぬ林真理子その人であったからこそ偉大なのである。
 林真理子はあの八〇年代に道なき道を駆け抜けた。それはいわば障害だらけの崖っぷちやデコボコ山中を一人ローラーで踏みならして道を作る作業だった。やがて女たちは誰もが林真理子の通った後を舗装された道路のようにして走り出したのである。ある者は南青山に住みカタカナ職業ライフに憧れた。またある者は本音を武器とする女コラムニストとなって名を馳せた。さらにある者はテレビ文化人からやはり直木賞をめざして小説を書き始める。・・・・・・すべて林真理子以後の女たち、そう、〝林真理子スゴロク〟の参加者たちであった。
 さて、林真理子を疾走させた原動力は何かといえば、それは〝欲望〟である。成功したい。普通のままでは終わりたくない。すべてを手に入れたい。今ではあたりまえとなったこのような考え方を、女としてはじめて口に出したのこそが林真理子だった。
 八〇年代は「女の時代」とも呼ばれたが、それはフェミニズムの台頭でもなければ男女雇用機会均等法でもない。女たちが歴史上はじめて「欲望を露にする」ことのできた時代こそが、八〇年代なのだ。その先頭に立ったのが林真理子であり、あるいは松田聖子だった。林真理子の登場から少なくとも五年遅れで「キャリアとケッコンだけじゃない」Hanako世代が現われ、トレンディ・ドラマでW浅野が遊び、アッシー、メッシー、ミツグくんを従えたオヤジギャルと呼ばれる快楽至上主義型の女たちが跳梁跋扈する。「セックスでキレイになる!」女性誌の見出しは女たちの欲望を全肯定した。あの頃、女たちの〝欲望の革命〟が勃発して、林真理子こそは八〇年代のジャンヌ・ダルクだった。林真理子の本を読んで、はじめて女たちは自らの欲望を肯定する術を知ったのである。欲しいものを「欲しい!」と口に出して言うことができたのだ。
 なんということだろう。林真理子という一女性の欲望が、その後のすべての女たちの欲望を、時代の欲望そのものを体現してしまうということ。そんなマジックがこの『ワンス・ア・イヤー』という本を、よくできた面白い小説であることを超え、特別な輝きを持つ神話の如きものとしている。だから97年現在、コギャルと呼ばれる欲望肯定的な少女たちに対して、僕はこう言うだろう。
「君たちがあたりまえに選び取っている態度は、ずっと昔からこの国にあったものじゃないんだ。それは八〇年代に林真理子という人が始めたことなんだよ。ほら、読んでごらん、この『ワンス・ア・イヤー』って本の中に書いてあるから」
 自らの過去を記すことが、そのまま時代の証言となってしまう・・・・・・という林真理子の小説の秘密がここにある。林真理子は、自身が紫式部であると同時に光源氏だった。マーガレット・ミッチェルであると同時スカーレット・オハラだった。池田理代子であると同時にオスカルであったのだ。時代という名の舞台で、ペンと我が身でみごと自作自演の劇を演じ切ってしまうということ!
 こんな離れ技は、自らが砂漠の救世主として現れその活躍を記しもした『アラビアのロレンス』、そう、あのT・E・ロレンスか、はたまた傑出した弟と友に〝太陽族〟という劇を生き・書き・演じ分けた石原慎太郎か・・・・・・そんな稀な例としてしか僕は知らない。

 ところで八〇年代はいったい、いつ終わったのだろう?ベルリンの壁の崩壊した日か、ソ連邦の解体した時か、それとも昭和天皇の崩御の日か?そうではない。八〇年代が「女の時代」である限り、それはもうわかりきっていること。
 そう、林真理子が結婚した日である。
 そうだった。〝林真理子スゴロク〟のアガリは「直木賞」ではない、「結婚」だったのだ。大学は出たけれど、何ひとつ持たないサエない女のコが、八〇年代に欲望だけを武器にして地位も名誉も名声もお金も男さえも手に入れたけど、ただひとつ結婚だけはできない・・・・・・それが林真理子の物語だったはずである。幸福という名のジグソーパズルの最後のワンピースが埋まらない、それが故に彼女はさらに欲望に駆られもするし、女たちはもっと共感を寄せた。
 だが、ある日、ふいにベルリンの壁が崩壊するように・・・・・・その空隙は埋められる。そう、くっきりと理想の形をした〝結婚〟というラストピースによって。みごと林真理子のジグソーパズルは完成して、その瞬間、女たちの八〇年代は劇的に終わりを告げたのだ。
* * *
 林真理子さんと対談させていただいた折り、僕はどうしても訊きたかったある質問をした。
「林さんはすべて望むものを手に入れたように見えますが、この上、何が欲しいですか」、と。すると、しばしの思案顔の後、彼女はこう答えたのだ。「もう一度、結婚したいですね。かといって再婚でもなければ不倫でもない。今の結婚は手にしたまま、もう一度結婚できる制度になるのが理想的として。もう一度、結婚したい!」うーむ、それほどいいものらしい、結婚ってヤツは・・・・・・。
 林真理子さんとは何度かお逢いさせていただいたけれど、そのつど心楽しい思い出ばかりである。素顔の愛らしい大人の女性だ。この気さくでやさしい人から、どうしてあんな魔術的な物語が紡がれるのだろう?とりわけ印象的だったのは若ノ花関と美恵子さんの結婚披露宴でのこと。篠山紀信さんや『アンアン』編集長の淀川美代子さん、そして林さんと僕たちは同じテーブルに腰掛けていた。お色直しをした新郎新婦がしずしずと現れると、宴客は起立して出迎える。ウェディングドレスに身を包んだ純白の花嫁は輝くばかりに美しい。すると、華やかでりゅうとした着物姿の林さんが、思わず「わあ、感激しちゃうわあ」と声を上げた。見ると、ああ、なんと目にいっぱい涙を浮かべていらっしゃるではないか・・・・・・。
 この本を手にした貴方は幸せです。これは自らの欲望が時代の欲望を体現してしまった一人の〝運命的な女(ファム・ファタル)〟の物語。彼女は生き、愛し、書いた。それはペンとインクとばかりでない。自らの幸福のみならず、人の幸福に対してさえひときわ感応的な女性の目に浮かべた・・・・・・幾滴かの水分によっても書かれている。


林真理子 名言集


心が疲れたとき、生き方に迷ったときに、元気にしてくれるマリコ語録
林 真理子 名言集

「美しい和の食器は、きちんとしたひとり暮らしをしている女の、心の証のようなものだ」




「口紅をつけなくても、たっぷりおいしいものやお酒を入れた後の唇は、ばら色に光って濡れている。ああいうのって、すごくセクシーだと思う」


「まあ、パーティなんていうのも、いっときのものである。素敵なドレスを着たとしても、シャンパンも明日になれば消え去るものである。が、このはかなさは、とても甘美で楽しいものだ。女が美しくなるために欠かせない多くの要素を含んでいる」 


「美しい女は、料理をしている最中も美しい」 


「自分で稼いで、一本のワインを気がねなく買うことが出来る。そして気に入った仕事と気に入った女友だちを何人か持っていれば、年をとっていくことも捨てたもんではない。我ながら意外なほど、充実した日が待っている。」 


「やはり美しさを自覚し、女らしさは何たるものか追求している人たちに混じり、切磋琢磨していくことが、その後の幸福を左右していくのではないだろうか」 
『踊って歌って大合戦』(文春文庫)



「美貌こそ女の歴史であり、いちばんわかりやすいパーソナリティなのである」 


「気をつけよう、手抜き一分、イメージ一生」 


「女性の服装の差異というのは、からだの両極に顕著に表れる。ヘアスタイルと足元あたりに」 


「男を待つ十分、二十分という時間は、女を飛躍的に美しくする。肌は水を吸い上げたようになり、目は輝きを持つ」 


「私がいちばんこだわっているのは、髪とネイルと足元です」 
『Precious06年6月号』(小学館)



「美人は輪郭だと誰かが言ったが、確かにだぼだぼの二重顎の美人はいない」 


「人間は一生、幸せのままでいられるはずはない。と同じように、一生不幸のままでいるはずもない」 


「中年からの美しい肌は、自立した女の証でもある」 


「頑張ってキャリアを積んできたんだもの。それだけの努力をしてきた人には、内面からにじみ出る、幸せ感あふれる洗練された美しさを手に入れることができる」 
『Precious06年6月号』(小学館)



「センスを磨き、腕を磨き、体も磨いている女のことを、私はキレイなコと呼ぶ」 


「女を変えるのは男かもしれないが、女が育つために仕事はある」 
『Domani01年6月号』(小学館)



「気力、知力、体力、財力を身につけた40代女性は、本当にキレイ」
『Precious07年4月号』(小学館)



「恋はするものではなく、〝こんなつもりじゃなかったのに〟と戸惑いながらも、仕方なく落ちていくもの」
『女性セブン06年7月13日号』(小学館)



「自分の美しさは自分にすべて責任があるんです」 
『Precious04年4月号』(小学館)



「他人の恋愛にむやみに興味を持ちたがる女というのは、決して主人公になれないのだ」 


「夫にもらったお金で美容院に行くより、自分のお金を遣うことで、女性はキレイになっていくんだと思う」
『Precious07年7月号』(小学館)



「したことの後悔は、日に日に小さくすることが出来る。していないことの後悔は、日に日に大きくなる」 
『婦人公論02年7月22日号』(中央公論新社)



「昔のほうがキレイだった、幸せだったと思う人生はつまらない」 
『Precious05年11月号』(小学館)



参考本 『生き方名言新書 1 林真理子 もっと幸せになっていいよね!』(小学館)など

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