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小説『ワンス・ア・イヤー』に寄せた中森明夫さん解説


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 この本を手にされた貴女は幸せです。もし貴女があの八〇年代に二〇代を過ごしたことのある人なら、きっと「ああ懐かしい」と思われることがあるだろう。もし貴女がそれよりもっと若い女性なら「へえ、こんなことがあったんだ」といくつもの発見をすることだろう。
 この本を手にされた貴男は幸せです。もし貴男が一度でもあの八〇年代を「生きた」ことのある人なら、かつての時代に貴男とは別の性を持つ者らが「いかに傷つき、いかに戦ったか」をやっと気づくことになるだろうから。
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 大学は出たけれど、就職難で風呂なし共同トイレのアパートに住みアルバイト生活を続けるサエない女のコが、カタカナ職業に憧れ、コピーライターとなって、初エッセイ集が大ベストセラーを記録−−やがて時代の寵児から直木賞作家へ・・・・・・の軌跡を描いた小説『ワンス・ア・イヤー』を読めば、誰もが著者・林真理子その人のサクセスの道程を思い浮かべることだろう。そうなのだ、これはいくつもの自伝的な小説を発表した林真理子の、いわば前半生の“総集編”とでも呼びうるような作品である。しかも大学を卒業したての二三歳から遂に結婚を果たす三六歳まで一歳に一章を充てるクロニクルの体裁をとっていて、さながらコマ落とし映像で彼女が成功への階段を駆け昇ってゆく姿を見るようだ。
 林さんは一九五四年生まれだから、それは七七年からジャスト九〇年までのこと、ちょうどまるごと八〇年代を舞台にしていることがこの小説の重要な隠し味となっている。それはテクノヘアやパックマン、イエロー・マジック・オーケストラやスーパーボールの服etcといった当時の時代風俗を表す固有名詞が頻出するということばかりではない。〝林真理子スゴロク〟というのを御存知だろうか?僕たちライターの世界では「モノカキ・スゴロクの上がりは作家だ」とよく耳にするが、〝林真理子スゴロク〟はそれをもっと精緻にリアルにしたものである。フリダシは一介の女子大生、そこからコピーライター養成講座を経て広告製作会社のアシスタント、コピーライターとして一人立ちして次にエッセイスト、ベストセラーで「三つススム」、テレビ文化人、少し疲労して「一回休み」、やがて作家となって、遂に直木賞(!)・・・・・・という仕組み。本書をお読みになれば、いかにして林真理子がこのスゴロクのコマを進めていったかが理解されるだろう。だが、彼女がエラいのはスゴロクに勝利したからではない。実は、このスゴロクを作ったのが他ならぬ林真理子その人であったからこそ偉大なのである。
 林真理子はあの八〇年代に道なき道を駆け抜けた。それはいわば障害だらけの崖っぷちやデコボコ山中を一人ローラーで踏みならして道を作る作業だった。やがて女たちは誰もが林真理子の通った後を舗装された道路のようにして走り出したのである。ある者は南青山に住みカタカナ職業ライフに憧れた。またある者は本音を武器とする女コラムニストとなって名を馳せた。さらにある者はテレビ文化人からやはり直木賞をめざして小説を書き始める。・・・・・・すべて林真理子以後の女たち、そう、〝林真理子スゴロク〟の参加者たちであった。
 さて、林真理子を疾走させた原動力は何かといえば、それは〝欲望〟である。成功したい。普通のままでは終わりたくない。すべてを手に入れたい。今ではあたりまえとなったこのような考え方を、女としてはじめて口に出したのこそが林真理子だった。
 八〇年代は「女の時代」とも呼ばれたが、それはフェミニズムの台頭でもなければ男女雇用機会均等法でもない。女たちが歴史上はじめて「欲望を露にする」ことのできた時代こそが、八〇年代なのだ。その先頭に立ったのが林真理子であり、あるいは松田聖子だった。林真理子の登場から少なくとも五年遅れで「キャリアとケッコンだけじゃない」Hanako世代が現われ、トレンディ・ドラマでW浅野が遊び、アッシー、メッシー、ミツグくんを従えたオヤジギャルと呼ばれる快楽至上主義型の女たちが跳梁跋扈する。「セックスでキレイになる!」女性誌の見出しは女たちの欲望を全肯定した。あの頃、女たちの〝欲望の革命〟が勃発して、林真理子こそは八〇年代のジャンヌ・ダルクだった。林真理子の本を読んで、はじめて女たちは自らの欲望を肯定する術を知ったのである。欲しいものを「欲しい!」と口に出して言うことができたのだ。
 なんということだろう。林真理子という一女性の欲望が、その後のすべての女たちの欲望を、時代の欲望そのものを体現してしまうということ。そんなマジックがこの『ワンス・ア・イヤー』という本を、よくできた面白い小説であることを超え、特別な輝きを持つ神話の如きものとしている。だから97年現在、コギャルと呼ばれる欲望肯定的な少女たちに対して、僕はこう言うだろう。
「君たちがあたりまえに選び取っている態度は、ずっと昔からこの国にあったものじゃないんだ。それは八〇年代に林真理子という人が始めたことなんだよ。ほら、読んでごらん、この『ワンス・ア・イヤー』って本の中に書いてあるから」
 自らの過去を記すことが、そのまま時代の証言となってしまう・・・・・・という林真理子の小説の秘密がここにある。林真理子は、自身が紫式部であると同時に光源氏だった。マーガレット・ミッチェルであると同時スカーレット・オハラだった。池田理代子であると同時にオスカルであったのだ。時代という名の舞台で、ペンと我が身でみごと自作自演の劇を演じ切ってしまうということ!
 こんな離れ技は、自らが砂漠の救世主として現れその活躍を記しもした『アラビアのロレンス』、そう、あのT・E・ロレンスか、はたまた傑出した弟と友に〝太陽族〟という劇を生き・書き・演じ分けた石原慎太郎か・・・・・・そんな稀な例としてしか僕は知らない。

 ところで八〇年代はいったい、いつ終わったのだろう?ベルリンの壁の崩壊した日か、ソ連邦の解体した時か、それとも昭和天皇の崩御の日か?そうではない。八〇年代が「女の時代」である限り、それはもうわかりきっていること。
 そう、林真理子が結婚した日である。
 そうだった。〝林真理子スゴロク〟のアガリは「直木賞」ではない、「結婚」だったのだ。大学は出たけれど、何ひとつ持たないサエない女のコが、八〇年代に欲望だけを武器にして地位も名誉も名声もお金も男さえも手に入れたけど、ただひとつ結婚だけはできない・・・・・・それが林真理子の物語だったはずである。幸福という名のジグソーパズルの最後のワンピースが埋まらない、それが故に彼女はさらに欲望に駆られもするし、女たちはもっと共感を寄せた。
 だが、ある日、ふいにベルリンの壁が崩壊するように・・・・・・その空隙は埋められる。そう、くっきりと理想の形をした〝結婚〟というラストピースによって。みごと林真理子のジグソーパズルは完成して、その瞬間、女たちの八〇年代は劇的に終わりを告げたのだ。
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 林真理子さんと対談させていただいた折り、僕はどうしても訊きたかったある質問をした。
「林さんはすべて望むものを手に入れたように見えますが、この上、何が欲しいですか」、と。すると、しばしの思案顔の後、彼女はこう答えたのだ。「もう一度、結婚したいですね。かといって再婚でもなければ不倫でもない。今の結婚は手にしたまま、もう一度結婚できる制度になるのが理想的として。もう一度、結婚したい!」うーむ、それほどいいものらしい、結婚ってヤツは・・・・・・。
 林真理子さんとは何度かお逢いさせていただいたけれど、そのつど心楽しい思い出ばかりである。素顔の愛らしい大人の女性だ。この気さくでやさしい人から、どうしてあんな魔術的な物語が紡がれるのだろう?とりわけ印象的だったのは若ノ花関と美恵子さんの結婚披露宴でのこと。篠山紀信さんや『アンアン』編集長の淀川美代子さん、そして林さんと僕たちは同じテーブルに腰掛けていた。お色直しをした新郎新婦がしずしずと現れると、宴客は起立して出迎える。ウェディングドレスに身を包んだ純白の花嫁は輝くばかりに美しい。すると、華やかでりゅうとした着物姿の林さんが、思わず「わあ、感激しちゃうわあ」と声を上げた。見ると、ああ、なんと目にいっぱい涙を浮かべていらっしゃるではないか・・・・・・。
 この本を手にした貴方は幸せです。これは自らの欲望が時代の欲望を体現してしまった一人の〝運命的な女(ファム・ファタル)〟の物語。彼女は生き、愛し、書いた。それはペンとインクとばかりでない。自らの幸福のみならず、人の幸福に対してさえひときわ感応的な女性の目に浮かべた・・・・・・幾滴かの水分によっても書かれている。


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